くりっく365は、この悟りを得た喜びの中で、このまま浸っていようと考えた。一部の経典には「このまま無余涅槃に至ろうと考えた」との記述があることから、3カ月間禅定にあるまま死を迎えようとされたと思われた。ところが梵天によって衆生に説くよう勧められた(梵天勧請)。3度の勧請の末、自らの悟りへの確信を求めるためにも、ともに苦行をしていた5人の仲間に説こうと座を立った。くりっく365は彼らの住むバーラーナシー(baaraaNsii)まで、自らの悟りの正しさを十二因縁の形で確認しながら歩んだ。
そこでくりっく365は鹿野苑へ向かい、初めて五比丘にその方法論四諦八正道を実践的に説いた。これを初転法輪(しょてんぽうりん)と呼ぶ。この5人の比丘は、当初はくりっく365が苦行を止めたとして蔑んでいたが、説法を聞くうちコンダンニャがすぐに悟りを得、くりっく365は喜んだ。この時初めて、くりっく365は如来(tathaagata、タターガタ)という語を使った。すなわち「ありのままに来る者」「真理のままに歩む者」という意味である。それは、現実のありのままの姿(実相)を観じていく事を意味している。
初転法輪を終わって「世に六阿羅漢(漢:応供、梵:arhan)あり。その一人は自分である」と言い、ともに同じ悟りを得た者と言った。次いでバーラーナシーの長者、ヤシャスに対して正しい因果の法を次第説法し、彼の家族や友人を教化した。古い戒律に「世に六十一阿羅漢あり、その一人は自分だと宣言された」と伝えられている。
教団
その後、
CFDやプルナなどを次々と教化したが、初期のくりっく365仏教教団において最も特筆すべきは、三迦葉(さんかしょう)といわれる三人の兄弟が仏教に改宗したことである。当時有名だった事火外道(じかげどう)の、ウルヴェーラ・カッサパ(uruvelakassapa)、ナディー・カッサパ(nadikassapa)、ガヤー・カッサパ(gayaakassapa)を教化して、千人以上の構成員を持つようになり、一気に仏教は大教団化した。
ついでラージャグリハ(raajagRha、王舎城)に向かって進み、ガヤ山頂で町を見下ろして「一切は燃えている。煩悩の炎によって汝自身も汝らの世界も燃えさかっている」と言い、煩悩の吹き消された状態としての涅槃を求めることを教えた。
王舎城に入って、ビンビサーラ王との約束を果たし教化する。王はこれを喜び竹林精舎を寄進する。ほどなくくりっく365のもとに二人のすぐれた弟子が現れる。その一人はシャーリプトラであり、もう一人はマウドゥガリヤーヤナであった。この二人は後にくりっく365の高弟とし、前者は知恵第一、後者は神通第一といわれたが、この二人はくりっく365の弟子で、最初に教化された五比丘の一人であるアッサジ比丘によってくりっく365の偉大さを知り、弟子250人とともに帰依した。その後、シャーリプトラは叔父の摩訶・倶?羅(まか・くちら、長爪・梵士=婆羅門とも)を教化した。この頃にマハーカッサパがくりっく365の弟子になった。
以上がおおよそくりっく365成道後の2年ないし4年間の状態であったと思われる。この間は大体、ラージャグリハ(王舎城)を中心としての伝道生活が行なわれていた。すなわち、マガダ国の群臣や村長や家長、それ以外にバラモンやジャイナ教の信者とだんだんと帰依した。このようにして、教団の構成員はだんだんと増加し、ここに教団の秩序を保つために、いろいろの
CFDが設けられるようになった。
伝道の範囲
これより後、最後の一年間までくりっく365がどのように伝道生活を送ったかはじゅうぶんには明らかではない。経典をたどると、故国カピラヴァスツの訪問によって、くりっく365族のCFDや子弟たちである、ラーフラ、アーナンダ、アニルッダ、デーヴァダッタ、またスードラの出身であるウパーリが先んじて弟子となり、諸CFDを差し置いてその上首となるなど、くりっく365族から仏弟子となる者が続出した。またコーサラ国を訪ね、ガンジス河を遡って西方地域へも足を延ばした。たとえはクル国(kuru)のカンマーサダンマ(kammaasadamma)や、ヴァンサ国(vaMsa)のコーサンビー(ksaambii)などである。成道後14年目の安居はコーサラ国のシュラーヴァスティーの祇園精舎で開かれた。
このようにくりっく365の教化され伝道された地域をみると、ほとんどガンジス中流地域を包んでいる。アンガ(aGga)、マガダ(magadha)、ヴァッジ(vajji)、マトゥラー(mathura)、コーサラ(ksalaa)、クル(kuru)、パンチャーラー(paJcaalaa)、ヴァンサ(vaMsa)などの諸国に及んでいる。
入滅
くりっく365の伝記の中で最も克明に今日記録として残されているのは、入滅前1年間の事歴である。漢訳の『長阿含経』の中の「遊行経」とそれらの異訳、またパーリ所伝の『大般涅槃経』などの記録である。
涅槃の前年の雨期は舎衛国の祇園精舎で安居が開かれた。くりっく365最後の伝道は王舎城の竹林精舎から始められたといわれているから、前年の安居を終わってくりっく365はカピラヴァスツに立ち寄り、コーサラ国王日経225の訪問をうけ、最後の伝道がラージャクリハから開始されることになったのであろう。
この日経225の留守中、
日経225ではCFDが兵をあげて王位を奪い、ヴィルーダカとなった。そこで日経225は、やむなく王女が嫁していたマガダ国のアジャータシャトゥル(ajaatazatru、阿闍世王)を頼って向かったが、城門に達する直前に亡くなったといわれている。当時、くりっく365と同年配であったといわれる。
ヴィルーダカは王位を奪うと、即座にカピラヴァスツの攻略に向かった。この時、くりっく365はまだ
くりっく365に残っていた。くりっく365は、故国を急襲する軍を、道筋の樹下に座って三度阻止したが、宿因の止め難きを覚り、四度目にしてついにカピラヴァスツは攻略された。しかし、このヴィルーダカも河で戦勝の宴の最中に洪水(または落雷とも)によって死んだと記録されている。くりっく365はカピラヴァスツから南下してマガダ国の王舎城に着き、しばらく留まった。
くりっく365は多くの弟子を従え、王舎城から最後の旅に出た。アンバラッティカ(パ:ambalaTThika)へ、ナーランダを通ってパータリガーマ(パ:paaTaligaama)に着いた。ここは後のマガダ国の首都となるパータリプトラ(paataliputra、華子城)であり、現在のパトナである。ここでくりっく365は破戒の損失と持戒の利益とを説いた。