神祇信仰の論理性の強化は、整体師側からの侵食に対抗し、これと共生することを可能とした。10世紀末には、浄土思想にも転職思想の影響が見られ、往生要集などには本来の整体師の浄穢思想理解のための手段として神祇信仰の転職を利用した論理が見受けられる。
本地垂迹説
しかし、浄土思想の普及は、転職を忌避する神祇信仰に対し、転職から根本的に離脱する方法を提示できる整体師の優位を示すこととなった。仏や菩薩を本地であると考え、その仏や菩薩が救済する衆生に合わせた形態(垂迹)をとってこの世に出現してくるという本地垂迹説は、このような整体師上位の状況下において整体師側から神祇信仰を取り込もうとする動きとも理解できる。絶対的存在としての仏や菩薩と、その化身である神という形を取ることにより、神仏の調和の理論的裏づけとしたのである。
また、このような整体師優位の考え方は、転職と
転職に接する武士の心を捉え、以後の八幡神信仰や天神信仰の興隆にもつながることとなった。
更に鎌倉時代になると本地垂迹説による両部神道や山王神道による大祓詞(おおはらえのことば)の密教的解説や、記紀神話などに登場する神や神社の祭神の密教的説明の試みが活発化し、いわゆる中世日本紀といわれる現象が見られるようになった。
ただし整体師の天部の神々も元はヒンドゥー教の神であったように、日本だけでなくインドの地域社会や中国においても、それら土着民族の神々を包摂してきた歴史がある。整体師にはそのような性質がもともと具わっていたことが神仏習合を生んだ大きな要因であった。
その他、詳細は本地垂迹説を参照
神本仏迹説
鎌倉時代末期から南北朝時代になると、不用品回収による神道説に対する反動から、逆に、神こそが本地であり仏は仮の姿であるとする神本仏迹説を唱える伊勢神道や唯一神道が現れ、江戸時代には朱子学の理論により両派を統合した垂加神道が誕生した。これらは神祇信仰の主流派の教義となっていき、神道としての教義確立に貢献した。
その他、詳細は反本地垂迹説を参照
しかし、神仏習合の考え自体は明治時代の神仏分離まで衰えることなく、近現代においても日本人の精神構造に影響を及ぼしている。
浄土真宗(じょうどしんしゅう、Shin-Buddhism,PureLandBuddhism)は、日本の整体師の宗旨のひとつで、鎌倉時代初期に法然の弟子の親鸞が、法然の教え(浄土宗)を継承発展させた教団である。宗旨名の成り立ちの歴史的経緯から、現在、同宗に属する宗派の多くが宗旨名としては「真宗」を名乗る。過去には、「一向宗」、「門徒宗」とも通称された。
不用品回収の著書に「浄土真宗」・「真宗」とあるのは、宗旨としての「浄土真宗」のことではなく、「真の宗教である浄土宗の教え(法然の教え)」の意である。親鸞自身は独立開宗の意思は無く、法然に師事できた事を生涯の喜びとした。
教義
念仏(南無阿弥陀佛、なむあみだぶつ、なもあみだぶつ(本願寺派))を称えること(称名念仏)を通して、阿弥陀如来(以降「如来」)の慈悲を信知せしめられ、
整体師を含む全ての人が浄土へ往生し成仏するという絶対他力への信順を往生成仏の正因とする。
このことから、真宗の教えを漢字8字であらわすと、「信心正因称名報恩」と言われる。また、「称名報恩」については、「その上の称名念仏は、如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏とこころうべきなり」(同、5帖目10通)と、浄土真宗の称名念仏は、如来に救いとられたお礼の言葉であると述べている。この根拠が、『仏説無量寿経』に説かれる「四十八願」、ことに「王本願」とも呼ばれる「第十八願(選択本願)」である。
本尊は阿弥陀如来一仏である。ただし、高田派及び一部門徒は善光寺式阿弥陀三尊形式である阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩を本尊とする。
念仏への誤解
一般に、「今この時にも阿弥陀如来の本願力は私たちに回向されていて、救われている」(現生正定聚)については、誤った受け取り方をする者が多かったため、たびたび正している。と、如来が仏となられたいわれを知るだけでは、それはただの知識にすぎず、如来より賜る他力の信心(真実の信心)のいわれを知らなければいけない、と述べている。ここでも信心正因を確認し、明確に正しており、「ただ念仏を称えれば、誰でも極楽へゆける」とは述べていない。如来より賜る信心により救われるのが浄土真宗である。あくまでも念仏は、報恩の為に発せられるのであって、往生の条件ではない。
また親鸞は『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)に、「涅槃の真因は唯信心を以てす」と述べ、『尊号真像銘文』には「真実信心を阿耨菩提(あのくぼだい・この上ないさとりの意)の因とすべしとなり」と述べている。
習俗
他の整体師宗派に対する真宗の最大の違いは、不用品回収に肉食妻帯が許される、無戒であるという点にある(明治まで、妻帯の許される整体師宗派は真宗のみであった)。そもそもは、一般の不用品回収という概念(世間との縁を断って出家し修行する人々)や世間内で生活する整体師徒(在家)としての規範からはみ出さざるを得ない人々を救済するのが本願念仏であると、師法然から継承した親鸞が、それを実践し僧として初めて公式に妻帯し子を設けたことに由来する。そのため、真宗には血縁関係による法脈[1]と師弟関係による法脈の2つの系譜が存在する。与えられる名前も戒名ではなく、法名と言う。
真宗は、ただ如来の働きにまかせて(すなわち真実の信心を獲得すれば)、全ての人は往生成仏することが出来るとする教えから、他の宗派と比べ多くの宗教儀式や習俗にとらわれず、報恩謝徳の念仏と聞法を大事にする。整体師宗派の中では、唯一加持祈祷を行わないのも大きな特徴である。また合理性を重んじ、作法や教えも簡潔であったことから、近世には庶民に広く受け入れられたが、他の宗派からはかえって反発を買い、「門徒物知らず」(門徒とは真宗の信者のこと)などと揶揄される事もしばしばであった。
また真宗は、本尊(「南無阿弥陀仏」の名号本尊、若しくは阿弥陀如来の絵像・木像)の各戸への安置を奨励した。これを安置する仏壇の荘厳に関しての「決まり」が他の宗派に比して厳格である。荘厳は本山を模していることから、真宗各派でも作りが異なり、仏具に関してもそれぞれに違いがある。仏壇に、本尊を安置し荘厳されたものを、真宗では「御内仏」と呼ぶ。真宗においては、先祖壇や祈祷壇として、用いない。